水戸の由来を知ろう!

水戸の基本!第1回目は、

水戸の由来を知ろうです。

豊かな自然。
恵まれた大地。
身近に歴史や文化を感じる事ができる水戸。
そんな水戸を知ってもらいたい!
できれば愛してもらいたい!!
ということでこれから少しずつ綴っていきたいと思います。
早速、水戸の由来とあゆみを少し見てみましょう。

名前の由来

MITO

水戸市の風景

出典:4travel.jp

昔から海や川の水の出入口を「みと」または「みなと」といい、
那珂川と桜川・千波湖の間につき出た台地から「みと」と呼ばれました。
水運の戸口(門戸)という意味ですね。

水戸市のあゆみ

1871(明治4)年の廃藩置県によって水戸藩は廃止され、水戸県となり(県があったんですね!?)、
さらに県の統廃合により、茨城県が誕生しました。
水戸には県庁が置かれ、茨城県の中心として歩んで行きます。

1889(明治22)年4月1日、市制町村制が施行されると、
当時の上市と下市のほかに、常磐・細谷・吉田・浜田の4か村の各一部と合併し、
面積6.17平方キロメートル、人口25,591人の「水戸市」が、全国31市の一つとして誕生しました。

第2次世界大戦後、復興の努力を重ね、
1949(昭和24)年から1958(昭和33)年までの間に、
水戸市と隣り合う10の村と合併。
怒涛の合併ですね!
そして高度成長期の人口や市街地の拡大を経て、
1989(平成元)年に市制施行100周年を迎え、1990(平成2)年には水戸芸術館をオープンさせるなど、文化都市としての発展を図ってきました。
1992(平成4)年には常澄村との合併、
2001(平成13)年4月の特例市への移行、
2005(平成17)年2月の内原町との合併を経て、
今日の水戸市は人口約27万人を有する県都として、地方中核都市圏のリーダーとしての役割を担っています。

Map

地図で見てみると、”水運の戸口”という意味がよくわかると思います。
さて。
茨城県の県庁所在地はどこでしょう?
もうお分かりですね、水戸市ですよ!
県名と所在地が違うので要チェックです(全国民に知らせたいのです)。
では、また!