徳川光圀

今回は水戸の有名人をご紹介いたします。
まずはこの方を語らずして、誰を語る? ということで、
徳川 光圀をご紹介。

徳川光圀

出典:sekainorekisi.com

徳川 光圀(とくがわ みつくに)は、常陸水戸藩の第2代藩主です。
水戸黄門」として広く知られていますね。

「ここにおわすお方をどなたと心得る。恐れ多くも先の天下の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ!」

このTVドラマ時代劇「水戸黄門」の有名なセリフは一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

印籠もインパクトが強いですよね。

水戸黄門象

光圀は水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男で、徳川家康の孫に当たリます。

諡号は「義公」、字は「子龍」、号は「梅里」。
また神号は「高譲味道根之命」(たかゆずるうましみちねのみこと)。

儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し(ここ大事)、
水戸学の基礎をつくりました。

『大日本史』の編纂に必要な資料収集のために家臣を諸国に派遣したことや、
隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから諸国漫遊のイメージがついたようですが、
実際の光圀は日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがなく、
関東に隣接する勿来と熱海(新編鎌倉志参照)を除くと現在の関東地方の範囲から出た記録は無いそうです。

水戸黄門様

また光圀の学芸振興は水戸学を生み出して後世に大きな影響を与えましたが、
その一方で藩財政の悪化を招き、ひいては領民への負担があり、そのため農民の逃散が絶えなかったそうです。

良い一面ばかりだけではないようですが、
後世に影響を与えた、という意味において間違いなく水戸の文化を築いた第一人者でしょう。